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自分自身は子供の頃から「協調性はないね」と言われ続けてきたのです。
学校では「皆と一緒に行動を共にできる人」を協調性がある、と評価するでしょう。
しかし、『明らかに間違ったこと』まで行動を共にする必要があるのだろうか??
学校で教える「協調性」とは、大企業で働くことに適した人材を大量生産することにあると言ってよいでしょう。
つまるところ、「協調性」を悪用している。
このことが日本を閉塞的な社会にしていますね。
明らかに「協調性」の名の基で間違ったことを放置しているので、歪みが大きくなっている。
その極みが「新自由主義」というもの。
これを 1980年代から1990年代にかけてアメリカやイギリスに始まり、南米各国で取り入れられ、
総じてマクロ的なものは良くなったが、それはごく一部であって、
実際は貧富の差が拡大して治安や民衆のモラルが悪くなったりしているのが現実。
日本の地方財政の逼迫は、この「新自由主義」によるものです。
いわゆる3大都市圏以外は生活そのものが苦しくなり、地域社会の崩壊も現実のものになる勢い。
特に首都圏に住んでいる方々には全く想像できないでしょう。それくらいのものです。
何でもかんでもアメリカの後追いはいけません。
今のアメリカは昔と違い、自国が潤うことしか考えなくなりました。
それと同じことが日本中のあらゆるところに根付いてしまっています。「新自由主義」と「大企業」は相性が良いです。
それで「大企業病」が身近に蔓延しはじめています。
これもいちいち説明しなければならないと思うと、気が重いです。