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何気に心霊スポットの投稿を続けていますが、今回はこれでおしまいです。
撮影は 2013/07/14 の夕方です。
この辺りは、住宅街が山腹にあり、この滝を含む川は崖のような地形で谷間になっています。
駐車場等は無く、徒歩で行くしかありません。
筆者は、50m ほど離れた近くの広い空き地にとりあえず車を置いてここに向かいました。
入り口はこのような小さい案内標識しかありません。
このように、かなり急な坂道を下っていきます。
一見、整備されているように見えますが、整備は途中までです。
滝の近くに行くには、下りきってから、整備されていない少し急な坂を上る羽目になります。
星置の滝は、自殺者が多いことから心霊スポットといわれていますが、星置の滝自体での霊の目撃情報は殆どありません。
しかし、行く途中にこのような廃屋があり、この廃屋のほうが心霊スポットのようになっています。
この廃屋の手前に川があって、そのために木製の橋が架かっています。
この辺りは、この川が札幌市と小樽市の境界です。つまり、この廃屋は住所的には小樽市星野町。
この廃屋での怪奇現象が一般的によく言われています。
ちなみにこの廃屋は、どうやら宗教関係の修道場だったらしいです。
この廃屋を散策した動画が Youtube やニコニコ動画に複数アップされていますが、何かしらの怪奇現象が収録されているようです。
筆者は、所有者に許可なしの廃屋散策は推奨しませんのであしからず。
札幌のTV局・FM局の送信所が山頂に林立している手稲山(標高 1023m) への登山道が始まる場所でもあります。
20台から30台程度の規模の駐車場があり、登山道とは別に、この滝のそばへ降りていく道もあり、滝つぼの近くまで行くことができます。
この場所は、おそらく札幌をはじめ、北海道でも有名な心霊スポットとなっています。
昼間来るぶんには、それほど怖くは無いですが、
霊感が鈍い筆者でも感じる程度にまで、雰囲気はそれほど心地良い場所ではありません。
霊感というよりは、掲示物などのせいかと思いますが。。(後述)
心霊スポットと言われるようになったきっかけは、この滝近辺での自殺者が後を絶たない時期があったことと、
極めつけはこの公衆トイレでの焼身自殺が広く報道され、その後の幽霊目撃の噂が絶えないことですね。
周囲の至るところで目撃情報だけは多くあります。どれが事実でどれがガセネタか判りませんね。
しかし、筆者が何気に撮影した画像の中にも何枚かそれらしきものが映りこんでいました。
余り怖いという印象は持ちませんが、「成仏していないのかな」という印象は持ちます。
誰もが判るほど明瞭ではないので、掲載は致しません。
ふざけ半分で、肝試しを行うなどという行為はやめた方が懸命です。
ちなみに、これを撮影したのは 2013/07/14 の午後4時から5時くらいで、
この公衆トイレは撮影の3年ほど前に何者か破壊され、修繕された経緯があります。
この場所の(霊的な)雰囲気があまりよろしくない原因のひとつが、これらの構造物でしょう。
「相沢 良」というのは、どうやら、第2次大戦の戦前・戦中の時期に共産主義の活動をしていた人物のようで、
「強制労働の窮状を訴え続け、治安維持法で捕まり拷問・・・」というのは、どうやらそのあたりの関連です。
現地における掲示物には、共産主義活動家であったことは一切書かれていませんでしたので、説明を鵜呑みにしないようにしましょう。
これで「反原発のポスター」がここにある理由がお解かりになった方が大半かと思います。
更に、「強制労働」というキーワード繋がりで、韓国人の強制労働殉職慰霊碑なるものが建てられております。
真偽はともかく、ここを訪れたときは、この碑の周囲と公衆トイレが最も霊気がよくありませんでした。
どうにも「恨」が渦巻いてる感じで、そういう想念が「恨」を持つ心霊を呼び寄せるようなものがある気がします。
#碑の下の土台左側に白っぽい人のような何かは写っていますが、光の加減か石の凹凸なのか、不明です。
#詳しい方の見解をお待ちします。
この自動販売機の左側に、昼夜問わず良く霊が出るらしいです。
筆者の前には全く現れませんでしたが。。
駐車場を一歩でると、このようなものがあります。霊気も一変します。
ちょっと中に入ってみましたが、もうひとつ石柱がありました。
「南無妙法蓮華経」・・・日蓮宗ですね。 日蓮宗の修道場でしょうか。
かなり昔からある墓地で、
明治時代に建立された墓なんかも点在しています。
地形的には紅葉山砂丘の一角です。
#考古学的に6000年ほど前の石狩湾の海岸線付近だと考えられている。
#現在の海岸線は、5~6km ほどの平野を隔てて離れています。
また、墓地の区画は昨今の墓地のように
碁盤のように並んでおらず、無秩序といったほうが適切かもしれません。
ここが心霊スポットとして言われ始めたきっかけは、
この墓地で殺人事件が起き、その後の幽霊目撃話
が一時絶えなかったことにあるようです。
筆者も詳しいことは知りません。
ただ、墓地の中は、防風林と一体化していて結構鬱蒼としており、肝試しにはちょうどいい感じではあります。
筆者は、こういう場所での肝試しは全く推奨しません。
この墓地の名前ですが、札幌市北区の屯田地区にあるからではなく、
屯田兵で入植してきた先人達とその子孫の墓地だからです。
中にある墓石は立派なものが多いです。
大正時代・昭和初期から戦前・戦中時期に建立されたと思われる墓石の中には、裏側に故人の足跡が刻み込まれているものもあり、開拓の歴史を垣間見ることが出来ます。
少なからず、無縁仏となった墓もあります。
墓地の様子を撮影しようかと思いましたが、
「興味本位」な動機に抵抗を感じ、それはやめました。
なので、入口のこの画像でご容赦を・・・
札幌市市域の中にはありませんが、この墓地の管理は札幌市が行っているようです。